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東愛宕・西愛宕町内会

広島八景

手書き版のベタ打ち(愛宕町解釈版は左のリンクよりPDF版をご覧ください)

そもそも初めが矢賀村で
矢賀村越えて岩鼻の
甚六茶屋の藤の棚
昔しや爺が茶のみ時
両側あれどあたごう(片河)の
荒神様を伏拝み
三本松とは申せども
比の後の辰の年の大水に
一本流れて二本松とは申せ共
ただいまは小さき佛養子
ありて三本松と申すなり
蟹屋の荒神横に見て
がうがう橋にさし掛かる
東あたごや西あたご
あたご様を伏拝み
何時も変らぬ下馬門の
亦助茶屋の藤の棚より亦助が
茶のみどきかや馬々櫻
東照権現伏拝み
尾長の天神糸櫻
国伝寺でへびって出れば仁王門
讃岐じゃなけれど金毘羅の
観音大師でみくじを引いて
明堂院にとぼる日わ
しいの木なんどに差掛る
明けの入幡神田宮
手田千石打過ぎて
一心より一箇条の法事のみな
がる
日通寺唐から引けた不動院
はるかに後にもどりては
大須賀の兵衛さんの生れ
在所が御座居ます
さて「コウモリ」も鳥の内
万京寺も寺の内
文徳さんも医者の内
さん俵も俵の内
「タイコウボー」も魚の内
はるかに沖を見渡せば
荒神にさしかかる
虎はおらねど大やぶの
月夜に手を出す猿猴橋
弓引っぱれば的場の神田門や
横田門比治浦なんどに差し
かかる
比に喜一郎さんの御屋敷有り
只今にては相田相●
御役所にとられ相田相●
明王様と言って愛の神様
御座居ます
比治山町のね姿は
くさみを現わす魚の棚
住めば都の京橋を
急げば吉田町現光院の御
地ぞう様は
塀に馬を乗りかけて
たもう院(多聞院?)につく鐘は
土手町ふぐとて捨らがち
えし明日があきてか松川町
ではないかいな
外を廻れば内町の
此れにけったいな小石御座る
戸口のせまい奥の広い「トックリ」
小路と申すなり
あの「トックリ」小路で想いつめた
事がある
一杯のんでしだれかかるが柳町
ろく路であれど山口町
やぐら重たや岩見屋町
引いてもこんのが引御堂
下にさがれど幟町
そんなら買やんせ負りゃんしょうと
朝から晩迄笑顔して
手を打ちたたくが胡町ではない
かいな
ふなや「ドジョウ」が流川
八方八亦一平田町
虎屋のまんじゅう
喰ぶ時は平田屋橋を想い出す
おまんずしを喰ふ時は
一口橋を想い出す
かみえのぼればをせんすい
下之さ小小ば竹屋町
屋敷はたいそう多けれど
たった二けん屋敷と申す
三国一諸の荒神伏拝み
女郎は居らねど新町の
目出度い町は中の棚
横に通れど立町の
御前と私が幼なじみの其の
時に
くるりやしゃんと廻り合うたが
車屋町ではないかいな
おいどとお顔の赤いが
猿楽町ではないかいな
はれば喰ふはらねば喰わぬち
しゃ男
かわ屋町ではないかいな
ふるふるどんどん●●町
えびすだいこく袋町
手ずめも経たぬ石切町
料理あんばい塩屋町
頭ぱっちり播磨屋町
社もないのに神屋町
唄の出所一丁目二丁目
付けて流すが細工町
三丁目の御原屋で十六文
十六文がひっかけて
はるかに西を拝むれば
天神町の掛出しに
しゃみが鳴るやら琴が鳴る
上ては「シラミ」がおどるやら
下では豚がさかるやら
鳥は居らねど鳥屋町
淀川補ずし喰ふ時は
すしやの手代にあをかして
たてに通れば横町の
元安橋のよなみ屋で
甘味をちょっくりひっかけて
櫓の下を廻りては
ひりっとからいが小●町
出れば西町うんじょう場
ぐせいの年に打ちのりて
西へ西へとえこうする
渡れば楠木一本木
はるか向こうの打越村の
くろうの宮を伏拝み
びんた豆腐に腰打ちかけて
かすかに沖を見渡せば
横川町に差しかかる
渡れば仏々仏言寺
此にはお寺が十二坊
西へ西へと引御堂
峠もないのに左官町
小鳥の恐れる鷹匠町
空鞘様を伏拝み
お染久松油屋町
とろりとろりと行って見れは
あら大変(かじ屋町)
にはちのそばを打上げて
じょうかんかまへて待っている
ここで一杯ひっかけて
ねずみの恐れる猫屋町
十日市を上りつめ
広瀬様を伏拝み
只今では家数の多い九軒町
蓮池ながめ榎町に
ここにけたいな小石御座る
ゆうれい小路と申すなり
青物市場を見物し
天満橋にさしかかる
此れよりはるか西の方天満
宮を伏拝み
あの世この世の堺町
すがない小路を通りぬけ
めいどの旅の塚本で
薬師の小路の御利益にて
西本川の引舟に打ちよせ
られてながむれば
じぜんじいが中島を
材木町をしかたから
加古町舟場に引いだす
かすかに沖をながむれば
朝からばんまで煙の立つのが
河原町ではないかいな
疊屋町の六助が
小網町を打ちあげて
登りてみれば遊廊に
しやみがなるやら笛がなる
琴や胡弓や太鼓やつづみ
打てやさわげや踊れや舞へと
愉快する身は極楽世界
歌舞のぼさつの顔様へ
われをとらじと並びじば
天下御免の遊女町
最早下向致します

広島八景














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